-
大石田町について
-
大石田町は最上川の表情豊かな町です。小高い川岸段丘の連なりと、なだらかな山なみの間を、最上川は今もたゆまずうねり流れています。その水面はひたむきな人々の生活を、風雅を求める旅人の心をありのままに映し続けてきました。
元禄2年、松尾芭蕉は最上川と初めて対面し「五月雨を集めて涼し最上川」と詠みました。また近代文学に新風をもたらした正岡子規、そして更に日本の短詩文学に不滅の業績をしるした齋藤茂吉は、聴禽書屋」という素封家二藤部家の元離れに約2年程滞在するなど、大石田町は文学との深いかかわりをもった町です。
「大石田まつり」「ひなまつり」「新そばまつり」など伝統あふれる風物詩としてのイベントも楽しめます。
-
史跡・観光・名所など
大石田まつり〔恒例 8月16日〕
約90年の歴史があるおまつりで、その年に成人を迎えた若者による「成人神輿」や神輿団体による勇壮な神輿渡御が行われます。また、数千の灯篭が流れる中、大型花火を中心とした約3,000発の花火が打ち上がります。
記念花火やスターマイン、創造花火など打ち上げの最後を飾るのは、日本一の町民号「20号玉(2尺玉)10連発で、開花時の直径が450mを超える大型花火が次々に打ち上がる光景は豪快、感動の一夜となります。
大石田ひなまつり
山形県の内陸にある大石田町は、かつて最上川舟運最大の舟着場であり、江戸期には、西廻り航路の整備により、上方との文物の交流が活発になりました。大石田からは米や紅花が運ばれ、その帰りに京都、大坂から優美なお雛様がもたらされました。
これらの「享保雛」や「古今雛」は大切に守り継がれ、現在に至っています。
「大石田ひなまつり」は、地元に伝わる「おひなみ」が復活されたもので、自宅展示で昔ながらの祭り方でご覧になれます。
また、町立歴史民俗資料館では、江戸時代からの貴重な雛人形のほか、大石田ならではの古い雛道具や、郷土人形・ままごと道具一揃いなどが特別公開されます。
大石田ひなまつりは、各家庭を訪ね歩き、飾り付けられたお雛様を見てまわる「おひなみ」という形式です。
大石田の舟運によってもたらされ、それぞれの家で大切に守り継がれてきたお雛様がお供え物とともに飾り付けられています。
それぞれの家庭での大石田流のおもてなし、舟運文化の歴史とロマンを体感することができます。
「かおり風景100選」とは、その地に住む人々や訪れる人々にとって心地よいと感じる「かおり」や、自然景観、文化、生活、歴史などの将来に残したい風景をいいます。そば文化を大切に育んできた大石田の風土と、そばを愛する多くの人々が大石田をめんごがって(可愛がって)くださったお陰で認定されました。
「大石田そば街道振興会女性部」が食アメニティコンテスト審査会特別賞を受賞
大石田そば街道振興会女性部は、おもてなし料理のメニュー開発や、イベントでのそば打ちなどのPR活動で地域振興に貢献し、「平成19年度食アメニティコンテスト審査会特別賞」を受賞しました。
白鷺そば生産組合が全国農業協同組合中央会長賞を受賞
大石田町のそば「来迎寺在来」の品種保存や町内のそば生産者への種子の供給などを行い、大石田のそばの高品位化へ貢献している点や収量性の高さが評価されました。
大石田そば街道が「山形セレクション」に認定
大石田町には地元栽培の玄そばを生かした手打ちそば屋が数多く、そば文化が地域に息づいており、資源活用観光の面において「山形の宝」として世に発信する取り組みとなる、平成19年度山形セレクションの認定を受けました。
そば栽培に適した土壌
大石田は玄そばの産地としても知られ、生産量は県内でもトップクラスです。夏と冬、昼と夜の寒暖の差が豊かな風味を育みます。在来種の「来迎寺」や次年子の地そばを使った大石田そばは、程よいコシがあり、のどごしなめらかな田舎そばの逸品です。
女性たちが育んだ伝統のそば振る舞いのそば歴史
大石田ではそば打ちは女の仕事とされ、母から子へ、また嫁へとそば打ちの技は家庭の味として受け継がれてきました。いつしか「どこそこのそばはうまい」と評判になり、農家の軒にのれんを掲げたのがこの辺りのそば屋の始まりとか。
大石田町新そばまつり 10月下旬の土曜・日曜
新そばまつりでは、そば街道全店のプロの打ち手と“そば打ちが生き甲斐”の玄人はだしの有志が一堂に会し、大石田ならではの香り高い風味豊かな旬のそばを提供します。
大石田そばの里推進協議会公認キャラクター
苗の植え付けと収穫作業をご家族みんなで体験できます。真夏の炎天下に味わうもぎたてのスイカの味は格別です。
スイカオーナー制度は、スイカの苗一株(一口)ごとにオーナーとなり、植え付けや収穫などのイベントに参加していただくものです。料金は一口あたり4,200円。夏には2玉のスイカを収穫できます。
定植や収穫作業に参加できなかった方には、収穫後にスイカを送付しますので、遠方の方でもオーナーになることができます。
〔JR大石田駅より 車5分 徒歩15分〕
室町時代の頃から始まったと言われている大石田河岸は、元禄の頃にもっとも賑わい、最上川舟運の中枢となり、寛政4年に幕府の舟役所が置かれました。近年、舟運時代の華やかな頃の面影を偲ばせる、大門や塀蔵が再現されております。
〔JR大石田駅から徒歩10分〕
斎藤茂吉が大石田で約2年間暮らしていたニ藤部家の元離れです。この建物の名前は庭内の木立を鳴きわたる小鳥の声に因み、斎藤茂吉自らが命名しました。